東日本大震災から10年 あの日を思い出す。
2021年3月11日
東日本を広く大きな揺れで襲った、東日本大震災から10年が経った今日。
長く短い日々でした。
震災の被害に遭われた方々に、追悼の意を表します。
私は、自宅で地震に遭いました。
息子は年中。その日は保育園で進級お祝い会が催された日でした。
私は仕事を休み、午後は友人家族とうちでお祝い会をしていました。
夫は午後、会社へ出勤。
忘れもしない14:43頃、突然大きく揺れました。長く長く・・・。
息子と友達はテーブルの下へ、私と友人はそれぞれ倒れそうな家具を支えて、
揺れをやり過ごしていました。
隣がマンション工事中で、止めてあったクレーン車がこちらへ倒れてきそうで、
息子が「怖い、怖い」と叫んだのを覚えています。
何が起きたかとTVをつけ、東北の状況を目の当たりにして愕然・・・。
津波が町を飲み込んでいたのです。
みな画面にくぎ付けでした。現実味がなく、映画か何かを観ているような・・・。
でもとても恐ろしい光景でした。
その映像を見た息子は、しばらく赤ちゃん返りのような様子が見られていた。
怖い怖いと夜中に目が覚める、しばらくそんな不安定な状態でした。
出勤した夫とは連絡が取れませんでした。
ラインやメールを何通も送りました。でも、既読にもならず、返信もなし。
家族へも連絡しましたが、通じません。焦りました。安否を確認できない焦り・・・。
不安でした。4歳の息子と二人、どうしよう・・・。
あとで、アクセスが集中して繋がりにくい状況であったとわかりました。遅れて返信があり、無事だとわかり安堵しました。
電車が止まり、夫は夜中に帰宅しました。銀座線がいち早く運転開始し、なんとか乗り継ぎ、途中から徒歩で自宅に帰ってきました。疲労困憊です。
無事に家族がそろった喜びは、忘れられません。
あれから10年が経ち・・・。復興や再建が進んでいます。
震災関連死は増えているとニュースで聞きました。でも、傷跡はまだ完全に癒されてはいません。本当に辛い経験です。
先日の福島県沖地震ではヒヤリとしました。首都圏に来たか、と身構えました。
いつ来てもおかしくない、大地震。
むやみに恐れていても仕方ないです。怖くて生活に支障が出てしまいます。
でも、いつか来ると思い、自分でできる備えをしておくことが大事だと思っています。
我が家では備えの途中ですが、計画的に揃えていきたいと思っています。