ワーママ・ケアマネたきぼんの介護・子育て

ケアマネたきぼんのこころが軽くなる介護・子育て・生活のヒント

阪神淡路大地震から26年

今日1月17日は、阪神淡路大震災が起きた日。

平成7年(1995年)1月17日、午前5時46分。マグネチュード7.3、最大震度7の大地震

犠牲になった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

26年前、私は実家で朝目覚め、ニュースを見て知った。

何か起きたようだ、という感じではあったが、実際に現地の様子を見ることができたのは、地震発生からずいぶん時間が経ってからだった。

火の手が上がる、街並み。阪神高速道路が傾き、宙吊りになっているバスの映像…。

すごくショックで、心が震えたことを今でも思い出します。

 

自分が生きてきて、あんなに大きな地震は見たことがなかった。

地震列島である日本の怖さを、改めて思い知った日である。

 

そして、2011年3月11日。東日本大震災が起きる。今年10年目を迎える。

この日は息子の保育園の進級・進学お祝い会の日だった。

午前中は卒園する年長さんのお祝いと、進級するみんなのお祝い会。1歳児から5歳児まで、劇や歌を披露し、成長をお祝いする時間だった。

進級お祝い会を終え、お友達家族と家でランチ会。

一緒に過ごしていた時に、起きた激しい揺れ。

何が起こったか、よくわからなかった。家じゅうのものが大きく揺れ、TVが倒れそうになり、慌てて抑えていた。子供たちはテーブルの下に隠れ、泣き叫ぶ。

親は子供をなだめ、安全を確認する。

工事中の隣のクレーン車がうちのほうへ倒れてきそうで、それが本当に恐怖だった。

東京は震度5弱。震度5ってこんなにこんなに揺れるものなのか。

 

夫は午後は出勤していて不在。友人家族が一緒にいてくれたから、頑張れた。

もし息子と二人だったら、冷静に対応できなかったと思う。

何が起こったのか、TVをつける。津波の映像がどんどん流れてくる…。

どうして、なんで、こんなふうになっているの???頭が混乱した。

 

電車も止まり、夫は帰宅難民となる。

私はとりあえず買い出しに行き、当面の必要なものを購入した。

混乱して何を買ったらいいのか、パニックになっていた。

真っ暗な街が空が、とても不気味だったのを覚えている。

 

あれから10年。

そして阪神淡路大震災から26年。

 

30年以内に必ず起こるといわれている南海トラフ地震

1923年の関東大震災。同様の首都圏直下型地震は明日来てもおかしくない。

 

日々の備えをもう一度見直そう。

家族が別々に過ごしているときに遭遇したら、どうするか。しっかり話し合おう。

 

東日本大震災後、私は家族3人分×3日間の食糧とローリングストックを始めた。

水も用意した。

テント、寝袋、マット、電池、電気など、毎年少しずつ買い揃えた。

防災リュックを作った。

 

でも、買いっぱなしだった。水は賞味期限も切れていた(;´д`)

少し、忘れかけていた。

 

もう一度、備えを見直そう。

次の週末に見直しすることを決意!!!!やります。絶対に。