母が倒れた!!!!~2016.1月 発症4日目~
たきぼんです。
母は、2016年1月に外出先で脳出血を発症し、突然倒れました。
その日から我が家の生活は一変し、怒涛の日々が始まりました。
家族が突然倒れたら。
それは、悲しみ、号泣、辛い、後悔、自責の念等々…本当に本当に苦しい日々。
4年たった今でも、倒れた日を思い出す。そして「ああすれば良かった」と後悔の思いが湧き上がる。家族が別の対応をしていたら、倒れなかったのではないかと、自分を責め苦しくなる。
私たち家族がどのように考え、治療の方向性を決め、母がどう変化したかを
記事にしていきたいと思います。
人によって、病気によって、状況によって経過は違うと思いますが、脳出血を発症し、後遺症で半身麻痺のある母が、どんな経過で回復し、現在のように安定してきたか。
家族がどのように関わったか。
私たちの体験が、何かのヒントになれば幸いです。
◆入院4日目◆
妹とは仕事をやりくりし、毎日どちらかがお見舞いに行くことにした。
発症後3日目に意識が戻る!!
集中治療室での治療が続く。モニターや点滴につながれている。
発症から4日目の朝まで禁飲食。昨日意識が戻り、1日様子を見て経口摂取の許可が
おりる。
昼食よりベッド上でお粥を摂取開始。少量だったけど、おいしそうに食べていた。
意識が戻った母は、私のことも認識できた。
「迷惑かけて悪かったね・・・。」と(´;ω;`)
ただ、自分に起きたことがまだ理解できず、「こっち(左)が動かないのよ・・。」と、不安そうに話す。
精神的には不安定で、夜間は混乱している様子が見られたとのこと。
家族や叔父・伯母がいると穏やかだが、面会者が帰った後や夜間は、精神的に不安定になり、混乱やベッドから動こうとする動き、被害妄想的な発言がみられる。
「なんでこんな体になったのかしら。」と苦しい思いでいっぱい。
ベッドからの転落の危険や、点滴のチューブを抜いてしまう可能性があるので、
腹部に抑制ベルト、両手にミトンを装着されている。
いわゆる「身体拘束」である。
生活の場である介護の世界では身体拘束は禁止である。ベッドや車いすに縛り付けたり、手指の動きを抑制する等、その人の行動や動きを抑制することはできない。
しかし、病気を治すことを目的とする医療現場では、安全に治療するための身体抑制は認められている。入院手続きの際に、必ず説明があり、家族は同意の署名をしている。
ベッド上で抑制ベルトで体を固定され、両手はミトン。自分で体を動かすことができず、点滴やモニターに繋がれている姿をみるのは、治療のためだとわかっていても、
とても辛かった。本当に悲しかった。
ようやく意識が戻ったのに、体の半分が自由がきかず、チューブで繋がっていて、抑制されて体を自由に動かすこともできない・・・。
「ここはどこ?私はどうなってしまったの?」という思いだったに違いない。
状況を理解するまで、混乱したり、精神的に不安定になるのは当然のこと。
夜間の付き添いはできないけれど、日中はできるだけ母のそばにいよう!精神面を支えよう!と、強く思いました。
この時は、夫や息子のことは頭にありませんでした。
母を助けたい!!!!その一心で行動していたと思います。
駅から病院まで徒歩20分位。泣きながら往復しました。
面会終了後は、後ろ髪をひかれる思いで、泣きながら駅に向かう。
お母さんが頑張っているから、私もしっかりしなくちゃ・・・。
入院時の医師からの説明では、急変の可能性もあると聞いていたので、
意識が戻ったことは奇跡と思えるくらい、嬉しかった。
神様ありがとう。
時々神頼みをする私ですが、母が倒れてからは神様、仏様、ご先祖様、お天道様…
に祈ることが増えた。
「どうか、母を助けてください。」
「どんな姿でもいいから、生きていてほしい。」
今考えると、万が一に時にどこまで治療をするのか、どんな治療を希望するのか、
ということを全く話し合っていなかったことを後悔しています。
治療についての母の希望がわからず、結局娘たちの希望で治療を進めた。そう進めるしかなかった。
持病があり、高齢であり、いつ何が起きても不思議でない年齢だった。
でも、『母は元気』という、願いというか、希望というか、そういう話をする時期ではないと、勝手に思っていた。
でも違った。そして時は遅かった。
幸い母は、意識が戻り、食事も経口から食べられようになったけれど、
もし、そうでなかったら。食事が食べられるようには回復しなかったら。
どういう治療をしたいか、母の想いを確認していない状況での治療の選択は難しかっただろう。結局は家族の想いで方針を決めるしかない。それが本人が望んでいない選択でも…。
そう考えると、事前に家族で、親しい人とで、万が一の時の治療の希望を話し合うことがとても大切だと思いました。
明日も面会に行きます。
どんな様子だろう。快方に向かうことを願うばかり・・・。
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