ワーママ・ケアマネたきぼんの介護・子育て

ケアマネたきぼんのこころが軽くなる介護・子育て・生活のヒント

母が倒れた!!!!~2016.1月 発症当日の夜。治療方針の話し合い~

たきぼんです。

 

母は、2016年1月に外出先で脳出血を発症し、突然倒れました。

 

その日から我が家の生活は一変し、怒涛の日々が始まりました。

家族が突然倒れたら。

それは、悲しみ、号泣、辛い、後悔、自責の念等々…本当に本当に苦しい日々。

4年たった今でも、倒れた日を思い出す。そして「ああすれば良かった」と後悔の思いが湧き上がる。家族が別の対応をしていたら、倒れなかったのではないかと、自分を責め苦しくなる。

 

私たち家族がどのように考え、治療の方向性を決め、母がどう変化したかを

記事にしていきたいと思います。

人によって、病気によって、状況によって経過は違うと思いますが、脳出血を発症し、後遺症で半身麻痺のある母が、どんな経過で回復し、現在のように安定してきたか。

家族がどのように関わったか。

私たちの体験が、何かのヒントになれば幸いです。

 

◆発症日の夜◆

 

 医師の説明を聞き、今後のどのように治療や転院したいか、家族で話し合って

おいてくださいと言われました。

母と面会したのち、看護師より入院についての説明を受けました。

入院で必要なもののうち、家族が持参するもの、病院でレンタルできるものがあります。母が入院した病院はパジャマセット、オムツ、タオルセットはレンタルできました。それ以外の日用品ーシャンプー&リンス、ボディソープ、肌着類、靴下、コップ、くし、鏡、箱ティッシュ、小タオル等々…は用意して持参が必要となりました。

幸い、救急搬送された病院が、自宅近くの多発性脳梗塞の治療でかかりつけの病院だったことから、実家にあるものを用意することができ、翌朝すぐに持参できました。

 

17時過ぎに病院につき、主治医の説明を受け、母を面会し、看護師と入院手続きして。

お話をする中で、母の今日の動きが明らかになりました。

・朝、眼科を受診。白内障の治療のため、月2回ほど通院していました。

・混んでいて終わったのが昼過ぎ。隣の薬局で薬を受け取り、食品や日用品を購入。

・13:30頃会計を終え、袋詰めする。その時にドラッグストアのさっか台で倒れる。

 幸い隣に人がいて、よろける母を支えてくださったことから、強く体を打ち付ける

 ことはなかったそうです。

・ドラッグストアの薬剤師さんがすぐに救急要請。

・14時頃、病院へ救急搬送される。

・14時半頃、病院から家族へ連絡が入る。

 

本当に幸運が重なり、速やかに入院することができたのだと思います。

もしも、自宅で発症していたら…。おそらくそのまま亡くなっていたでしょう。

もしも、倒れた時に一人だったら…。頭や体を強く打ち付け、脳出血以外のケガや病気を併発していたでしょう。

もしも、帰宅途中の道で発症したら…。救急要請まで時間がかかったかもしれません。

そのまま亡くなっていたかもしれません。

 

このような倒れかただったことを『幸運が重なり』と思えるようになるには、まだまだ先のことでした。当日はとにかく頭が真っ白で、悲しみと後悔と、これからどうしようという気持ちで激しい動揺でした。

 

身元がすぐに判明したのは、保険証と診察券一式を持っていたこと、自治体から発行されていた"一人暮らし高齢者の連絡先キーホルダー”を持っていたからでした。

かかりつけ医だったこともあり、カルテも既往症が把握でき、すぐに治療が開始できたことも幸運でした。

家族の連絡先は、お財布に入れていた娘の連絡先をメモしたカードが役立ちました。

娘二人の電話番号が記載してあったので、病院サイドもすぐに家族に連絡できたとのことでした。

 

説明と入院手続きを終え、徒歩10分程の自宅に帰り着いたのは21時頃でした。

 

お正月休み以来に訪れた実家。暗く、ひんやり、冷たい空気を感じました。

朝まで生活していたままの生活感が残っているのに…。

いつも笑顔で迎え入れてくれる母の姿はなく。

誰もいない実家に足を踏み入れ、母が倒れたことは現実なんだと突きつけられる。

 

涙が止まりませんでした。

 

入院の荷物をまとめているときに、ふと入った浴室。

浴槽の縁と、洗面器に血痕を発見しました。衝撃でした。

母は、もしかしたら発症する数時間前に異変が起きていたのかもしれない。

入口の段差につまずいた?

めまいがした?

小さな出血が起きたのか?

もう、母に確認する術はありませんでした。

その血痕を見て、妹と二人、大きな声で泣きました。

 

体がつらかったのだろう。なんで気づいてあげられなかったのか。

どうしてもっと連絡しなかったのか。

どうしてもっと訪問しなかったのか。

どうして通院に同行するなど、生活をサポートしてあげなかったのか。

どうして、どうして…

 

後悔の思い、自分たちを責める言葉しか出てきませんでした。

元気で別れた母の笑顔だけが、浮かんできました。

 

妹と話し合ったこと。

・できる限りの治療をしよう。

・親戚への連絡をしなければ。

・毎日、どちらかが面会に行こう。母のそばにいよう。

・今後の選択は、7日後のCT検査で決めよう。

 

私は大きな悲しみの中でも、妹と話しながらようやく仕事の知識が出てきました。

脳出血後、どのような経過をたどり、今後どの治療方法があるのかを妹に説明。

同じ視点を持てるよう情報提供しました。

 

<家族の希望>

◎できればリハビリ病院へ転院し、機能回復を目指したい。

◎リハビリ病院後は、介護保健施設へ転院してリハビリを継続したい。

◎左麻痺が残るので、エレベーターのない4階の自宅での独居は困難。

→同居して介護するのか。施設入居を検討するのか、早急に検討していく。

介護保険を利用するために、介護申請を行う。

→翌日地域包括支援センターへ手続きに行く。

 

母が脳浮腫や水頭症を発症せず、脳内の出血が速やかに吸収される経過をたどることを祈るばかりでした。母の力を信じるしかありませんでした。

1週間、頑張ってほしい。力とエールを送るために、できるだけ母のそばにいよう!!

そう決心しました。

 

夜遅くまで話し合い、床についても涙で寝付けませんでした。

様々な思いがあふれ出て・・・・

 

母は私たち娘が結婚して家を出てから、長く独居でした。

同居も提案したことはありましたが、母は、

「あんたたちに迷惑はかけられない。気を遣うし、一人で大丈夫。」と。

生まれ育った町で暮らしたい。兄弟や親せき、友人が近くにいるから、と希望していました。

 

しかし、77歳を超えたあたりから、変形性膝関節症による足の痛みに苦しみ、

自宅の階段昇降も徐々に大変になってきていた。外出先で足をつまずき転倒することも増えていた。料理していて、魚を焦がす、鍋の空焚きすることもあった。

「この前、下の道で転んじゃったの~。卵が割れてもったいなかったわ」などと、

話していた。

そろそろ独居が難しくなってきたというサインは出ていたのに…。

 

私はそのサインを見逃していた。

仕事では、そういうサインを見逃さず、支援へとつなげていたのに。仕事ではできていたのに…。なんて情けないことだろう。

 

母はまだまだ元気だと、甘えた思いがあった。元気だと信じたい気持ちがあった。

「支援が必要だよ」というサインをしっかり受け止め、生活の支援に私が乗り出せば

良かったのだ。

母は気丈な人だから、「助けて」と娘に言えなかったのだろう。いつも娘の生活を心配して、自分のことは後回しにして…。

その気持ちを汲み取れなかったことが、悔やまれて仕方がない。

もしも、私がもっと母の生活をサポートしていたら、80歳を目の前にしたあの冬の日に、脳出血で倒れることなんて、起きていなかったかもしれないのに…。

 

今でも後悔の思いでいっぱい。考えると悲しくて、自分を責めてしまう。

仕事とはいえ他人のことばっかりで、自分の家族のことを考えていなかった。

専門職として、母のサインに気づけなかった自分の浅はかさが情けなかった。

 

家族が突然倒れたら。

今後の治療方針については、家族でしっかりと話し合うことが必要です。

兄弟が複数人いる場合は、特にコミュニケーションが必要です。

家族が同じ情報を持ち、同じ視点で、治療について希望を話し合うことが大切です。

そしてキーパーソンを1人に決める。病院との窓口はキーパーソン1人にする。情報をキーパーソンに集約し、家族間の情報共有や意思決定のとりまとめを担当する。

混乱なく、病院サイドと話し合い、スムーズに進めていくために重要なことです。

不明点はキーパーソンを通じて病院へ確認する。または同席して確認する。

 

たまたま母のケースでは、私がケアマネージャーという仕事をしていたことで、

在宅介護や施設介護について知識があり、脳出血後の経過や予後についても知識があったので、混乱なく家族の意見をまとめ、スムーズに進められました。

しかし、大半の人はそうではありません。

医師の説明は複数人で聞き、メモを取り、不明点は必ず確認する。どういう経過をたどり、今後の生活への影響は何が考えられるのかイメージできることが必要です。

そういう状態になる家族を、どのように支えていくか。方法を複数検討していくこと。

入院中は、退院後の生活についてどういうサービスを利用して支えられるか、相談していただけるのがソーシャルワーカー(MSW:メディカルソーシャルワーカー)です。

専門職と相談しながら、速やかに検討していくことが必要となります。

 

外出時の身分証明書や家族の連絡先を携帯しておくことの重要さも実感しました。

自分にも当てはまりますね。高齢のご両親ならなおさらです。

保険証や診察券、お薬手帳(既往症も記載するとなお良いでしょう)、家族の連絡先のメモ。いつも持ち歩くカバンに常備しておくと、万が一の時に役立ちます。

身元がわからない、家族と連絡がつかない、既往症が不明…という状況では、速やかに適切な治療が開始できないかもしれません。

そういうものはやはりアナログが良いです。メモを財布に入れる、手帳に記載する。

母の場合は、財布に家族連絡先メモを入れていたのが幸いでした。他者がわかりやすく、探しやすく携帯する。

 

スマートフォンがあるから大丈夫と思っていませんか?

セキュリティのためロックがかけられていることが多く、他者では解除ができないのです。やはりアナログですが、メモで携帯することをお勧めします。

 

 

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