新米☆子育て支援者活動 ~12月の活動~
子育て支援 2か月目に突入。
身分証、書類一式、ファミリーサポートのしおり、活動報告書、筆記用具、印鑑を準備し、いざ出発。
いつものようにお邪魔すると・・・
Aちゃんは「眠いの~(´Д⊂ヽ」とソファーでゴロゴロ( *´艸`)
そーーーーっとベビーバウンドで過ごしているBちゃんに近づいて挨拶。
あれ、泣かないぞ♪♪
ベビーバウンドで、はらぺこあおむしの人形を握ったり、振ったりしながらにこにこ。
アイコンタクトしながら、近くに座る。
「お風呂の前にビー玉ぐるぐるしたい!」というAちゃんと、一緒に遊びました。
20分程遊び、Aちゃんはママと入浴へ。
いよいよBちゃんと二人になる。泣いちゃうかな・・・と思ったけど、おや、穏やか!
泣かないぞ( *´艸`)
ママがお風呂から出てくるまで20分間位、太鼓や人形であやしながら過ごす。
笑ってくれている~~~感激でした!!
私は嬉しく、感動しながらあやして見守りしていたところ、なかなかママが戻ってこないことに気づいたBちゃん。だんだんと表情が曇り・・・「ふえ~ん(´;ω;`)」。
抱っこして浴室の近くで待機。「もうすぐママが出てくるよ~」と声かける。
泣いているけれど、先週までとは違う泣き声のトーン。少し穏やかな泣き声。ママを呼んでいるような感じ。以前はギャン泣きだった。せき込むくらい、怒りが混じった泣き声だった。今日は全然違うことに、またまた感動!!
今日はじーーーっと私の顔を見ることが多かった。
Bちゃんは私の顔を見て考えている感じ。「この人、またいるー。」というような。
「敵じゃないのかしら?」と思ってくれ始めているのなら、嬉しい(^^♪
Bちゃんを膝で抱っこしながら、Aちゃんの夕食の見守り。
Bちゃん、落ち着いている!!!
Aちゃん「B、たきぼんさんに慣れたのかな~」と優しい言葉(⋈◍>◡<◍)。
ママも落ち着いて家事や食事の支度ができた。
Bちゃんのミルクはママに任せ、Aちゃんの夕食が終わるまでお話しながら見守る。
Bちゃんは私たちが気になる様子で、じっとこちらを見ている。考えている感じ。
夕食後、Aちゃんとビー玉ぐるぐる再開。一旦作ったタワーを崩し、違う形のタワーを作る。写真を見ながら組み立てるが、なかなか難しい。
二人であーでもないこーでもないと、真剣に組み立てる。
ミルクをいっぱい飲んだBちゃんも、近くで過ごす。本当に穏やか。
タワーを1/4ほど作ったところで、終了時間となる。
今日はとても穏やかな時間を過ごす。
ママも落ち着いて、家事や食事したく、明日の準備など進められた様子。
大泣きしているとママも心穏やかではいられないよね。良かった。
また来週の約束をして、バイバイする。
Aちゃんが「もう暗くて寒いので、気を付けて帰って下さい。」と挨拶!!
3歳とは思えない、挨拶の言葉と気遣い。素晴らしい。
とってもしっかりしている。
ほっこり温かい気持ちになりました~☆
毎週毎週お二人の成長が感じられる。特にBちゃんの成長は目覚ましい。
赤ちゃんの生きる力。本当にすごいです。
自分の子育ての時は、気づいていたかもしれないけど、こんなに実感はしなかった。
目の前のやらなければならないことに忙殺されて、ゆっくり息子の成長をかみしめる
時間はなかったかもしれないなあ。
スマホにときどき表示される、#Amazon フォト「〇月〇日の思い出」の写真。
AちゃんやBちゃんと同じ年頃の写真を見ながら、懐かしく息子の成長の様子を思い出しています。
今日の反省や気づきを振り返り、次回の活動へ反映させていきます。
また来週の訪問が楽しみ♡
夫の発熱② 頭痛悪化、脳神経外科受診~PCR検査後の体調の変化~
再度夫の頭痛が悪化しました(;´Д`)
12/5に医師の指示でPCR検査を受け、翌日に陰性との診断。
12/6は解熱し、日中~夜にかけて安定した体調で安心していましたが…。
12/7未明より、再度頭痛が悪化。前頭葉部分と両こめかみに強い痛みが出現。
痛みで体の辛さがあるとのことで、脳外科を受診することにしました。
1.症状
・頭痛:両こめかみにズキンズキンとする痛み。額に締め付けられるよう痛み。
・頸部:頸部右後ろに痛みあり。
・発熱:37~37.5℃
・咳、鼻水、呼吸苦、感冒症状はなし。
2. 脳神経外科受診
予め電話で相談の上、受診しました。
医師へ12/1からの経過と、PCR検査陰性であったこと、現在の症状について説明。
12/5の受診の際に血液検査の有無を確認される。オンライン診察のため、血液検査はしていないことを説明した。
・頸部~頭部CT検査
・頭部MRI検査 を実施。
3.検査結果・医師の見解
・CT、MRI検査結果、画像からは頭痛の原因となる症状はない。
・1週間内服薬して経過を観察する。
・2~3日内服しても頭痛が軽減できない場合、または痛みが強まる場合は、髄膜炎の可能性がある。髄液の検査が必要。大学病院へ通院するようにと指示。
MRI検査で新たに判明したこと。左右両方の脳に、脳梗塞の痕が見つかる。
多発性脳梗塞であるとのこと(´;ω;`)ウゥゥ
医師曰く「不摂生の賜物でしょう」。そんな・・・(;´Д`)
この脳梗塞痕は治療する必要はなく、このままの状態でよい(良くないが)とのこと。
12/5に処方された内服薬と重複しないよう調整した内服薬を使用し、静養して様子をみることにしました。
4.その後の経過
12/7(月)
11:30 37.5℃ 食欲なく、食事は1/2程の摂取。
17:00 37.2℃ 高等部、頸部に痛みあり。ズキンズキンとした痛み。
19:00 夕食1/2程の摂取で就寝。
12/8(火)【頭痛発症7日目・脳外科処方薬内服2日目】
3:00 痛みで覚醒。痛み止め内服
6:30 頭痛の痛みがやや改善するが、痛み継続。終日リモート勤務へ変更。
13:00 痛み軽減するが、眠気が強い。
16:30 痛み増す。38.1℃へ上がる。
18:00 熱と痛みが継続。脳神経外科へ対応を相談する。
→12/9の水曜日は脳神経外科が休診のため、紹介状作成を依頼した。
<医師の見解>
・昨日の検査では発熱する所見はなかった。しかし、髄膜炎での発熱も否定できない。
・熱と頭痛があるならば、救急対応の病院へ電話して受診するように。
・今までの経過と、12/5内科の見解、PCR検査の結果を踏まえ、脳神経外科からの上記
所見を伝え、受け入れてもらうようにすること。早めに受診を、との指示。
19:30 37.9℃ 頭痛は少し軽減。夫は「今晩様子を見て明日受診を決めたい。」
と希望。症状を確認し、私も急を要さないと判断。
12/9(水)【脳外科処方薬内服3日目】
1:00 夜間かなり発汗あり。全更衣。
7:00 37.0℃ 解熱。こめかみの痛みは消失。頸部後ろに痛み継続。
10:00 36.9℃ 全身状態は落ち着いている。痛みも改善あり、受診せず経過を見ることにした。
12/10(木)~12/11(金)
36.2℃へ解熱。若干こめかみに痛みと、頸部後ろの痛みが継続するが、生活に支障ない程度へ改善。
しかし、12/1から頭痛と微熱が継続しているので、明日内科を受診することにした。
夫を説得、受診を了承させた。
長く続く頭痛と微熱は心配。何が原因なのか、検査で明らかにしたい。
原因がわかれば、適切な治療もできる。明日、医師へ相談しよう。
心配で生きた心地がしなかった1週間だった。
電話に出ないと「倒れているのではないか?」と不安になり、帰りが遅いと「救急搬送されたのではないか?」と不安になり…。
体調が悪いと元気もなく、いつも言う文句もなんだかいとおしくなる。
早く良くなりますように。祈らずにはいられません。
夫が発熱①!!受診からPCR検査の結果が出るまで。
夫が発熱しました(;´Д`)
この時期です。新型コロナウィルスへ感染したのではないか?
PCR検査結果がわかるまで、我が家に緊張が走り、不安な時間を過ごしました。
高齢者施設でケアマネをしている私の職場にも緊張が走りました。
その経過記録を書きたいと思います。
新型コロナ感染を疑う症状が出た時に、どういう経過でPCR検査までつながるのか、
どのような対応がされたのか、自宅では行ったのか。参考になれば幸いです。
1.症状の経過
12/1(火)
・朝、頭痛が出現。片頭痛持ちであるため、「いつもの症状だ」との認識。
・帰宅後、こめかみに強い痛みが出現。市販の鎮痛剤内服して就寝。
・夜間は痛みでほとんど眠れず。
12/2(水)
・起床時体温37.2℃。頭痛・腰痛あり。
・再度検温し36.7℃。感冒症状なく、平熱のため出勤。
・日中は頭痛軽減していたが、帰宅後に痛み強くなる。鎮痛剤内服。
12/3(木)
・体温36.6℃。日中は頭痛治まり出勤。
・夜間、頭痛強まる。ほとんど眠れず不眠。体温は36.6℃。
12/4(金)
・体温36.7℃。頭痛は和らぎ、出勤。
・夜間も痛みが治まり、熟睡できる。
12/5(土) 発熱!
・朝、軽い頭痛あり。
・13時「熱っぽい」とのことで検温。37.8℃の発熱。
・症状:頭痛あり、顔も赤い。腰から下肢に痛みあり。
2.受診相談から検査まで
頭痛が5日間も継続していること、発熱したこと、年齢が60歳を超えており、高血圧症、心疾患との基礎疾患があることから、受診が必要と判断しました。新型コロナウィルスへの感染も否定できないこと、重症化するリスク世代でもあり、早い対応が必要と思いました。
しかし、5日は土曜日の午後。かかりつけ医は休診です。焦りました。
区報で『発熱、咳・痰、倦怠感などの症状があるときの相談・受診方法』を確認。
そのフローチャートに沿って行動することにしました。
・対応は平日の8時半~17時15分まで、と記載ありましたが、電話してみる。
→「都道府県の発熱相談センターへ連絡してください・。」とのメッセージ(;'∀')。
(2)東京都発熱相談センターへ電話(13:30)
・なかなか繋がりません。「電話が込み合っているので、後程おかけください。」と
自動で通話が切断されました。
・5回ほどかけ続けて、6回目で繋がりました\(^o^)/
(3)東京都発熱相談センターでのやりとり
①誰の相談か。性別、年齢、基礎疾患の有無と内容を聞かれる。
②住所地の確認。
③具体的な症状と経過を説明。
④発熱相談センターの見解
・かかりつけ医に相談するように言われるが、かかりつけ医は土曜午後休診であることを説明すると、住所地に近く、土日診療している病院を探すとのこと。しばらく電話をつなげたまま待つ。
・住まいの近隣のクリニックを3件紹介を受ける。
・自分でこの3つのクリニックへ電話し、症状を説明し、発熱しているが診察できるか、土曜日に対応しているかを確認してくださいと言われる( ゚Д゚)。
→「土曜日に診察できるクリニックを紹介してくださっているのではないのか」と質問すると、ネットの情報では診察できると記載あるが、実際は電話して確認が必要とのこと。
・万が一、紹介されたクリニック全てで断られた場合はどうしたらいいかを確認。
相談員さんは「その場合は再度発熱相談センターへ電話してください。その場合、異なる相談員が対応することになるので、お手数ですが最初から症状や経過を説明が必要になりますが、ご了承ください。」とのこと。
相談の記録は残していないことがわかる。指示に従いクリニックへ電話して、断られた場合は最初からの相談になるとのことでした。
それは時間がかかる…。せめて電話の記録を残してくれると、どんな相談をしたのか共有が早いのに、と思いましたが、相談件数も多く、都道府県という広域での対応なので、そういう対応は困難なのでしょう。
東京都の発熱相談センターは24時間対応です。本当にありがたいです。
(4)紹介されたクリニックへ電話
14時。まずは自宅から近いクリニックから電話しました。確認すると、発熱外来があり、本日の予約枠が空いていれば診察可能とのこと\(^o^)/。
発熱してぐったりしている夫を連れて、遠くのクリニックまでは行けないと思っていたので、助かりました。神様に感謝するくらい。
予約が取れた場合、どうやって連れて行こうか。車に乗せ、病院で車いすを借りて対応するしかないよね。そもそも駐車場はあるのだろうか。と思いつつも、まずは状況を説明し指示に従うことにしました。
・現在の症状と、12/1からの経過を説明。東京都発熱相談センターで紹介を受けたこと、初診であることを併せて説明する。
・発熱外来の対応可能、オンラインで予約するよう指示あり。本日受診できるかは、
予約状況によるので、まずはホームページからWEB予約するよう説明を受ける。
(5)ホームページでWEB予約
ホームページを確認すると、夕方に予約枠が空いていました\(^o^)/
・まずは本人情報登録と保険証の写真登録。
・希望の時間を登録して、予約完了。
・次に問診票のページになり、詳細を記載して送信。
・クリニックから電話あり。受診の流れの説明を受ける。
受診はオンラインで行うとのことでした。クリニックとラインでお友達となり、
予約時間に医師からビデオ電話にて診察するとのこと!!
ぐったりしている夫をどうやって受診させようか悩んでいたことが解決されました。
・LINEでお友達登録。
クリニックのID検索でお友達になろうとしたら、できなかった!!なんで?
私は格安スマホを利用しているので、キャリアを通じてのLINEの年齢確認ができない
ので、ID検索ができないとのこと( ゚Д゚)。焦りました。
予約確定のメールより、無事にLINEお友達登録完了!
(6)オンライン診察
・予約時間まで待つと、医師からライン電話がくる。ビデオ通話で受診する。
・事前に詳しく問診票を送っていたので、簡単に経緯と現在の病状について確認。
・医師は「基礎疾患があり、60歳以上の年齢なので、PCR検査を受けてください。」と検査の指示をいただく。
・妻の私は高齢者施設で勤務しており、できれば一緒にPCR検査をしたい旨を相談する。医師は、「現段階では症状のない奥様のPCR検査の指示は出せない。ご主人の結果次第で相談しましょう。」とのことで、私のPCR検査は今日はできず。
・PCR検査を予約するので、連絡を待つようにと指示を受ける。医師の話では、本日検査すれば翌日には結果が出るので、医師から連絡するとのこと。
・薬処方。鎮痛剤(発熱時・痛み時)と抗生剤。しっかり飲むようにと。
(7)会社へ連絡
・高齢者施設で働く私は、家族や自分がPCR検査を受けることが決まった時点で、会社へ報告が義務つけられているため、会社へ報告する。
・夫の症状の経緯、受診の結果PCR検査を行うことを報告。症状が出た経緯詳細を報告した。PCR検査が終了し、帰宅後に再度連絡することになる。
(8)PCR検査へ
・オンライン診察後、30分位で病院からラインで連絡。本日の会計とPCR検査の書類の受け取り方法、PCR検査の予約時間のお知らせ。
・予約は18時1分。会場に5分前に到着するようとの指示。
・会計については、誰にも会わないような工夫がされており、時間と場所指定で私がクリニックへ向かい、手続きをする。インターフォンを鳴らし、受付さんと訪問を伝え、無人の相談室へ向かい、手続きした。
・予約時間に間に合うように、自宅を車で出る。もう何年も運転していないペーパードライバーの私が、ハンドルを握る(;'∀')
・会場へ到着し、駐車場で予約時間まで待つ。5分前に会場に入る。
・防護服に身を包まれた看護師さんたちに囲まれ、夫は検査へ。不安…。
・インフルエンザ検査、PCR検査の両方を受ける。インフルエンザは陰性とすぐ判明。
・会計をして、自宅へ戻る。
(9)自宅へ戻り、自宅で感染対応開始。
・PCR検査結果が出るまで、夫は自宅寝室へ隔離する。寝室は汚染場所とし、入るのは私だけに限定。息子は立ち入らないように指示。
・夫は寝室とトイレのみ使用を制限し、使用後はすべて消毒する。
・家族全員でマスク着用。寝室前に消毒液(ハイターを薄めたもの、アルコール液)
、雑巾、使い捨て手袋、マスク、タオルを設置。出入り前後に消毒を実施。
汚染マスクやティッシュ等、夫が使用したものを捨てる蓋つきゴミ箱を寝室内に設置。
・施設で行う感染症発症時の対策を自宅でできるよう、準備する。
夫が陽性だった場合、私と息子は濃厚接触者となる。
明日の結果次第では、私と息子の生活も変わる。職場もかなり動揺が走るだろう。
そう思うと、胃がキリキリする・・・。
(10)会社へ連絡
・再度会社へ連絡。
・夫の症状発症の経緯、医師の見解、PCR検査について再度詳細を報告する。
・夫が発症した1週間前からの、私の行動記録の確認。特に、入居者様、ご家族様のどなたと会って話したか、接触したかの詳細を確認される。新型コロナ感染拡大となってから、私は自分の行動記録を手帳にしていたので、思い出すのに苦労せずに報告できた。しっかり記録しておいて良かった!!
・明日の夫のPCR検査結果をすぐに報告すること、陽性だった場合の流れ等の説明を受ける。陽性だったら、ほんとうにまずい(;´Д`)
(11)12月6日
・朝、夫は36.3℃と解熱。だるさや頭痛も軽減。顔色はよく、体調は良さそうな印象。
・内服して体も軽くなってきたとのこと。あとは検査結果を待つばかり・・・。
・10:30自宅の電話が鳴る。クリニックの医師からだった。
「検査結果は陰性です。」
やったーーーーーー\(^o^)/
医師より、
・処方薬は飲み切るように。
・変化があればクリニックへ連絡すること。
・陰性の証明書が必要であれば、別途診断書を作成する。
現在の症状を説明し、医師は「それなら良かった。ゆっくり静養してください。」とのこと。
会社へ報告し、無事、私の月曜日の出勤も認められる。
上司からも「本当に良かった」と言われ、会社も安堵している様子。
そりゃそうです。もし、私が濃厚接触者だったら・・・・。陽性だったら。
高齢者施設でのクラスター発生・・・という最悪な事態もありえるからです。
本当に緊張した二日間でした。
PCR検査の結果が出るまでは、生きた心地がしませんでした。
今回の件で思うこと。
体調に少しでも変化があった場合は、すぐにかかりつけ医に相談することが大切だということです。
夫は土曜の午後に熱発し、かかりつけ医は休診で相談できませんでした。
金曜日の時点で一度、かかりつけ医を受診していたら、また違った見解になったかもしれません。主治医でない医師は、夫の年齢と基礎疾患を確認し、新型コロナに感染していた場合、重症化するリスクがあるからPCR検査を指示したのだと思います。主治医だったらどう判断したか・・・。難しい判断です。
今回の意思と同じように検査を勧めたかもしれません。
今回は家族である私が相談センターへの連絡や、問診等々動けました。
これが一人暮らしで、体調悪くてご自身では連絡や相談もできない状態だったら…。
オンライン受診やLINEでのビデオ通話とか、高齢者世帯では対応できたであろうか。
実際に病院へ行かずのオンライン診察はとても便利だと思いました。
しかし、高齢者や独居の人など、具合が悪い本人が手配できるかどうか、自分だったら対応できる自信がありません。課題の一つであると思いました。
いつどこで誰が感染してもおかしくない新型コロナウィルス。
改めて日ごろの感染対策をしっかり行おうと心に誓いました。
この記事が、少しでもお役に立てますように。
「ケーキを切れない非行少年たち」を読んで
20207新書大賞 第二位の人気本
「ケーキの切れない非行少年たち」を読みました。
タイトルに引かれ、ずっと読んでみたかった本ですが、
やっと手に入れました。
犯罪をおかす少年は認知のゆがみがある。
小学2年生頃から出す『困っている』のサイン。
サインを出しているのに、家庭環境や養育・教育環境で見逃されてしまう。
見逃されてしまうから、支援に繋がらない。
生活や学習に困った感を持ちながら成長していく。困ったことがやがて社会の不適応へと繋がっていく・・・・。
筆者が少年院で診た、非行少年たちの実情と問題提起がつづられていました。
筆者によると、非行少年の中には軽い知的障害や発達障害のある少年が多かったとのこと。『困っている』というサインに早期に気づき、適切な支援につなげられていたら、
この少年たちは犯罪を犯すことなく、違う人生を歩んだかもしれない。
そのサインは小2まで位に出ていたという。幼稚園や保育園、小学校で気づくことはできなかったのだろうか。読んでいて切なくなりました。
私の息子は4歳の頃に、保育園の年中クラスの集団生活に馴染めないことがわかりました。自分の感情をコンロトールすることができず、言葉で説明することが苦手で、お友達とトラブルを起こすことが多かった。カッとなってすぐ手が出て、お友達をたたいたり、押したり…。3歳の頃はそういう感じでも、お友達もみな同じ状況だったので、それほど目立ちませんでした。
しかし、年中さんの年齢になると、精神的に成長し、言葉で自分の気持ちを伝え、喧嘩やトラブルがあっても、子どもたちが言葉で伝え、解決できる力が備わってきます。
先生の話をしっかり聞き、善悪の判断もできるようになり、感情のコントロールも上手になる年齢です。
息子は4歳になってもそのような成長がみられず、3歳児以下のような行動でお友達をトラブルを起こしていました。
度重なるそのような集団不適合な行動に、当時の担任と園長先生から面談の相談がありました。そこで言われたのは、
「発達に心配はあるので、療育相談室へ今から電話しましょう。」
という、半ば強引な提案でした。
発達に問題があるなんて、と唖然としました。怒りも感じました。
でも、今までの彼の成長や行動を振り返ると、私も「おかしいな」とうすうす感じていたのです。ただ、認めたくない気持ちが勝っていたのだと思います。
保育園の職員室からすぐ電話。療育相談室も保育園から、しかも先生方も一緒に「いる中での相談ということで、緊急性を感じてくれた様子。その後、とんとん拍子に療育を受ける段取りとなりました。
細かい成長の記録は、後日記事にしていきたいと思っていますが、
今思うのは、4歳の時点で、療育へ繋げられて良かったということです。
小学校6年までの8年間、息子は療育機関での支援、教育相談室での支援、情緒学級での支援を受けることができました。小学校は普通学級に在籍しながらの通級利用でした。
はっきりした診断はありませんが、注意欠陥多動症(ADHD)の傾向があるとわかりました。そのために、
・感情のコントロールができない。
・じっと座っていられない。
・気が散る。
・周囲の状況に合わない発言や行動を行う。
・思ったことをすぐに口に出す。
・言葉で自分の気持ちを説明できず、手が出る、足が出る。
・不注意
・忘れ物が多い。
・片付けられない。整理整頓が苦手。すぐ物をなくす。
・相手の気持ちがわからない。想像することができない。
・二つのことを同時にする作業が苦手。
・耳からの情報は頭に入りにくい。 etc・・・
集団生活を送るには「困ったこと」ばかりの特性でした。
早期に療育にて支援を受けたことで、認知行動療法にて練習を重ねることで、
「認知のゆがみ」をトレーニングしてきたのだと思います。
特性を治すことはできませんが、自分の考え方を変えることで、自分をコントロールできるようになってきたのです。
本に出てくる少年たちも、同じように幼稚園や保育園の集団生活で、困っていたのではないかと思います。大人が気づいて、適切な支援へ繋げることができたら。
早期に療育などの支援へ繋げることの大切さを、改めて感じました。
なんでそんな風に生んでしまったのだろうかという罪悪感でいっぱいでした。
発達に障害があるなんて、受け入れることができませんでした。
でも、先生方が背中を押してくれました。説得された感はありますが、その道に乗ったことで、私も息子も多くを学びました。息子に合った方法で、担任や学校全体を巻き込んで息子を支えることができたと思います。
発達に遅れや障害がある子が必ず非行を犯すというわけではありません。
しかし、生活に「困ったこと」を感じている子どもが、その「困ったこと」を乗り越えられるような考え方や工夫を学ぶことで、その子に合った周囲の支援を受けることで、
集団生活に適合し、学習や活動をみんなと一緒にできるようになるのだと、そういう機会を持てるのだということを、広く知ってほしいと思いました。
新米☆子育て支援者活動 ~11月報告書作成~
子育て支援 11月の活動が終わりました。
翌月3日必着にて、ファミリーサポート事務局へ活動報告書を郵送します。
活動日に、活動時間・活動内容・費用を記載した活動報告書を毎回持参し、
活動終了時間に利用会員、援助会員(=私)が確認します。活動費用を受領して押印。
その月の最終活動日に、活動報告書の利用会員控えをお渡しします。
援助会員の私は、翌月3日までに活動報告書を完成させ、事務局へ郵送して当月の活動が終了します。
子育て支援を始めて、1か月半。
最初はどんな出会いがあるか、うまく支援できるか、緊張と不安でいっぱいでした。
思い切って一歩を踏み出して良かった、と思っています。
素敵な出会いでした。感謝です( *´艸`)。
まだ6回しかお会いしていないけれど、なんとなく子育ての協力隊みたいな関係に。
お子さんの支援はもちろんのこと、近所のおせっかいおばさん的な感覚で、子育てに奮闘しているママさんの力になれたら、と思います。
子育てを楽しく、一人で抱え込まず、手を抜いてもいいし、誰かに頼っていいんだというメッセージを伝えたい。
14年前、私が子育てに奮闘していた時。思えば、ファミリーサポート事業もあった。
ヘルパー派遣やファミリーサポート事業、ショートステイ事業etc…ママをサポートする支援がたくさんあった。
でも、他人を家にあげることや、息子のお世話を頼むことになんとなく抵抗があった。
離乳食は「やっぱり手作りが体にいい。」という情報を信じ、必死に作った。
こんなに頑張っているのに食べてくれない息子に、イライラした。
自分がやらなきゃ・・・と半ば脅迫観念にように。それが正しいと信じて。
そういう思いのために、行き詰まることもたびたびあった。
息子に強く当たったり、叱ったり。
なんのために自分だけでこんなに必死だったんだろう・・・。
そうです!いろいろなサポートを利用して、誰かに助けてもらっていいのです。
ママが笑顔で、楽な気持ちで、子育てできる環境が大切だと思います。
気軽に「助けて」といえること。お互いさまで支え合えること。そんな地域であってほしい。
私もまだまだ子育ては続いていますが、自分の経験が誰かの役に立てたら嬉しい。
ママたちが見通しをもって子育てできる、そんな情報を共有できたらと思います。
来月の活動も楽しみながら頑張ります。
お役に立てますように。
新米☆子育て支援者活動 ~六回目の訪問~
子育て支援 6回目の訪問。
今週のBちゃんの様子はどうだろうか、また泣いちゃうかな。Aちゃんと何して遊ぼうかな、と皆さんに会うのが楽しみでした。
身分証、書類一式、ファミリーサポートのしおり、活動報告書、筆記用具、印鑑を準備し、いざ出発。
今日も温かく受け入れてくださる( *´艸`)
Aちゃんは「たきぼんさん、今日はビー玉ぐるぐるしよー(^^)/」と誘ってくれる。
手洗いと消毒を済ませてリビングへ向かう。Aちゃんとビー玉ぐるぐるについて話をしていると、ラグで飛行機の姿勢でいるBちゃんと目が合う。おー、うつぶせ姿勢で、しっかりと顔と手足を浮かせている。・・・・な~んて感心していると、Bちゃんはすぐに泣き出した~(;'∀')
「あなた誰~?なんでおうちにいるの~?」
ううう、やっぱり早速泣かれてしまいました。
ママによると、散歩や公園で知り合いの方と会うときはそれほど泣くことはないけれど、家だと泣いちゃうみたい、とのこと。
おうちという自分の安全地帯に、家族以外の人がいることに違和感や不安感を感じているのだろうなあ。すごい成長です!!
私の腕の中で大泣きしているBちゃん。お口の中をふと見ると、下の歯肉の真ん中がうっすら白く見える!もうすぐ歯が出てきそうな様子。
ママに伝えると、「わ~気がつかなかった!!」と( *´艸`) 喜んでいました。
もうすぐ6か月。私が初めて会った4か月の頃からどんどん成長している。頼もしいし、
赤ちゃんの生きる力に感動しました。
Bちゃんはママに任せて、お風呂が沸くまでAちゃんと"ビー玉ぐるぐる"で遊ぶことに。知育おもちゃで、組み立ててビー玉を転がすことができるブロック。説明書見たけれど、空間識別能力?が弱い私には、とても難しそう・・・(;^_^A
パパと一緒に作ったというタワーで、一緒に遊ぶ。
"ビー玉ぐるぐる"…Aちゃんの発想の豊かさ、表現の奥深さを感じる。子供の発想て、本当にすごい。
お風呂が沸き、ママとAちゃんは入浴♪
さて、Bちゃんと二人で過ごします。
抱っこして、声かけたり、歌ったり、外を見たりetc…いろいろ試しても、泣く泣く
(´;ω;`)。わ~んと泣いて、私の顔をじっとみて、また泣く。繰り返し。
ママがなかなか来ないので、だんだん怒り泣きも・・・。
私の顔をみて「あ、この人違う~」とわかっている表情。必死にママを呼ぶ姿を見ていると、切なくなりました。
お風呂からママが出てきて、Bちゃんの視界に入ると泣きやむ!!
ママが近くにいると、私に抱っこされていても泣かなくなった(*´▽`*)
ちょっとおなかも空いている様子で、今日は早めにミルクの時間になりました。
「たきぼんさん、ミルクお願いします!」
とのことで、Bちゃんへミルクをあげました( *´艸`)
泣くかな・・・と心配したけれど、空腹のほうが勝った様子で、私の腕の中でごきゅごきゅミルクを飲む♪
かわいいカワ(・∀・)イイ!!
4/5くらい飲んだところで、はっと気づき、泣き出す(;^_^A
Bちゃんのミルクをママと変わって、私はAちゃんの夕食の見守りを引き受ける。
ママのお膝で、ニコニコミルクを飲む(⋈◍>◡<◍)。✧♡
いろいろお話しながら、Aちゃんの夕食を見守る。
ご馳走様して、"ビー玉ぐるぐる"遊びの続きを一緒にやりました。
ブロックでビー玉競争をしたり、ビー玉かくれんぼしたり、建物を建て増したり。
子どもの発想力や遊びの想像力に感心しながら、たくさん遊びました!!
あっという間に2時間。今日もたくさん笑って、楽しい時間でした。
ママとも育児の話や、息子の時の様子など情報交換できて、こちらも楽しかった。
私の育児経験が少しでも役に立ってくれたら、最高に嬉しいです!!
今日の活動内容の確認をママと行い、月の報告書をお渡しする。
月末は活動記録の写しを利用者へお渡しします。
私は翌月3日までに、活動記録本紙へ活動記録の詳細を追記して、社会福祉協議会へ
郵送します。これで今月の活動が終わります。
今日で活動6回目。開始して2か月が経ちました。
少しずつママやAちゃんとも信頼関係を築いている状況だと思います。
毎週の訪問がとても楽しみになってきました。
安心してお子様を任せていただけるように、丁寧に真摯に対応したいと思います。
我が家の食卓でもAちゃん、Bちゃんの様子が話題にのぼります。
夫は「たきぼんの生活の活力になっているのなら良かったね。」と背中を押してくれています。
息子は「ぼくの時はどうだった?」など話を聞くようになり、またAちゃん、Bちゃんの様子を面白く聞いているようです。思春期の息子との会話のきっかけになって、私も助かっています( *´艸`)
普段は人生の終盤を迎える高齢者の方を支える仕事をしています。死を意識した生活を支えることもあります。看取りもします。
赤ちゃんや子供と触れ合うと、人間の生きる力の強さを気づかせてもらえます。
できることが多くなり、成長していく姿。力をもらえます。
人生の始まりと終盤。その両方に関われることに感謝です。
私もまだまだ成長していかなければ!!!
来週の約束をして、笑顔でバイバイしての帰り道。
「来週また来てね~!」
ほっこり温かい気持ちになりました~☆
今日の反省や気づきを振り返り、次回の活動へ反映させていきます。
母が倒れた!!!!~2016.1月 発症4日目~
たきぼんです。
母は、2016年1月に外出先で脳出血を発症し、突然倒れました。
その日から我が家の生活は一変し、怒涛の日々が始まりました。
家族が突然倒れたら。
それは、悲しみ、号泣、辛い、後悔、自責の念等々…本当に本当に苦しい日々。
4年たった今でも、倒れた日を思い出す。そして「ああすれば良かった」と後悔の思いが湧き上がる。家族が別の対応をしていたら、倒れなかったのではないかと、自分を責め苦しくなる。
私たち家族がどのように考え、治療の方向性を決め、母がどう変化したかを
記事にしていきたいと思います。
人によって、病気によって、状況によって経過は違うと思いますが、脳出血を発症し、後遺症で半身麻痺のある母が、どんな経過で回復し、現在のように安定してきたか。
家族がどのように関わったか。
私たちの体験が、何かのヒントになれば幸いです。
◆入院4日目◆
妹とは仕事をやりくりし、毎日どちらかがお見舞いに行くことにした。
発症後3日目に意識が戻る!!
集中治療室での治療が続く。モニターや点滴につながれている。
発症から4日目の朝まで禁飲食。昨日意識が戻り、1日様子を見て経口摂取の許可が
おりる。
昼食よりベッド上でお粥を摂取開始。少量だったけど、おいしそうに食べていた。
意識が戻った母は、私のことも認識できた。
「迷惑かけて悪かったね・・・。」と(´;ω;`)
ただ、自分に起きたことがまだ理解できず、「こっち(左)が動かないのよ・・。」と、不安そうに話す。
精神的には不安定で、夜間は混乱している様子が見られたとのこと。
家族や叔父・伯母がいると穏やかだが、面会者が帰った後や夜間は、精神的に不安定になり、混乱やベッドから動こうとする動き、被害妄想的な発言がみられる。
「なんでこんな体になったのかしら。」と苦しい思いでいっぱい。
ベッドからの転落の危険や、点滴のチューブを抜いてしまう可能性があるので、
腹部に抑制ベルト、両手にミトンを装着されている。
いわゆる「身体拘束」である。
生活の場である介護の世界では身体拘束は禁止である。ベッドや車いすに縛り付けたり、手指の動きを抑制する等、その人の行動や動きを抑制することはできない。
しかし、病気を治すことを目的とする医療現場では、安全に治療するための身体抑制は認められている。入院手続きの際に、必ず説明があり、家族は同意の署名をしている。
ベッド上で抑制ベルトで体を固定され、両手はミトン。自分で体を動かすことができず、点滴やモニターに繋がれている姿をみるのは、治療のためだとわかっていても、
とても辛かった。本当に悲しかった。
ようやく意識が戻ったのに、体の半分が自由がきかず、チューブで繋がっていて、抑制されて体を自由に動かすこともできない・・・。
「ここはどこ?私はどうなってしまったの?」という思いだったに違いない。
状況を理解するまで、混乱したり、精神的に不安定になるのは当然のこと。
夜間の付き添いはできないけれど、日中はできるだけ母のそばにいよう!精神面を支えよう!と、強く思いました。
この時は、夫や息子のことは頭にありませんでした。
母を助けたい!!!!その一心で行動していたと思います。
駅から病院まで徒歩20分位。泣きながら往復しました。
面会終了後は、後ろ髪をひかれる思いで、泣きながら駅に向かう。
お母さんが頑張っているから、私もしっかりしなくちゃ・・・。
入院時の医師からの説明では、急変の可能性もあると聞いていたので、
意識が戻ったことは奇跡と思えるくらい、嬉しかった。
神様ありがとう。
時々神頼みをする私ですが、母が倒れてからは神様、仏様、ご先祖様、お天道様…
に祈ることが増えた。
「どうか、母を助けてください。」
「どんな姿でもいいから、生きていてほしい。」
今考えると、万が一に時にどこまで治療をするのか、どんな治療を希望するのか、
ということを全く話し合っていなかったことを後悔しています。
治療についての母の希望がわからず、結局娘たちの希望で治療を進めた。そう進めるしかなかった。
持病があり、高齢であり、いつ何が起きても不思議でない年齢だった。
でも、『母は元気』という、願いというか、希望というか、そういう話をする時期ではないと、勝手に思っていた。
でも違った。そして時は遅かった。
幸い母は、意識が戻り、食事も経口から食べられようになったけれど、
もし、そうでなかったら。食事が食べられるようには回復しなかったら。
どういう治療をしたいか、母の想いを確認していない状況での治療の選択は難しかっただろう。結局は家族の想いで方針を決めるしかない。それが本人が望んでいない選択でも…。
そう考えると、事前に家族で、親しい人とで、万が一の時の治療の希望を話し合うことがとても大切だと思いました。
明日も面会に行きます。
どんな様子だろう。快方に向かうことを願うばかり・・・。
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