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母が脳出血で倒れた!!~2016.1月 発症5日目の様子・孫と対面・生かされた意味~

たきぼんです。

 

母は、2016年1月に外出先で脳出血を発症し、突然倒れました。

 

その日から我が家の生活は一変し、怒涛の日々が始まりました。

家族が突然倒れたら。

それは、悲しみ、号泣、辛い、後悔、自責の念等々…本当に本当に苦しい日々。

4年たった今でも、倒れた日を思い出す。そして「ああすれば良かった」と後悔の思いが湧き上がる。家族が別の対応をしていたら、倒れなかったのではないかと、自分を責め苦しくなる。

 

私たち家族がどのように考え、治療の方向性を決め、母がどう変化したかを

記事にしていきたいと思います。

人によって、病気によって、状況によって経過は違うと思いますが、脳出血を発症し、後遺症で半身麻痺のある母が、どんな経過で回復し、現在のように安定してきたか。

家族がどのように関わったか。

私たちの体験が、何かのヒントになれば幸いです。

 

◆入院5日目◆

1/25に緊急入院してから、毎日私か妹がお見舞いに行く。限られた時間であるけれど、

できるだけそばにいて、手を握り、話しかける。母の気持ちを聞くという対応をしています。お見舞いから家路にもどるとき、別れがたく、後ろ髪をひかれる思い。

母も「もう帰っちゃうのね、寂しいね。」という言葉に、泣きそうになる。

最寄り駅までの20分間の道のり。毎日泣きながら歩いていた。

私は母のことで頭がいっぱいで、夫のこと、息子のことはすっかり後回しにしていた。

今はとにかく母のそばにいたい!!その気持ちでいっぱいだった。

 

30日は土曜日。だいぶ病状も落ち着いてきたので、妹家族と一緒に面会に行く。

大好きな孫たちと会うことができました。

笑顔で、孫との対面を喜んでいた( *´艸`)

 

息子は当時小学校3年生。おばあちゃんが病気で入院していること、現在の様子について、隠さずしっかりと説明しました。

左手が動かず、ベッドで点滴している祖母の様子を直接見て、少しショックだったようです。はじめはドアの外から近づかず、じっと様子をうかがっていた息子。

徐々に祖母のそばに行き、手を握り話しかけてくれた。

妹家族と交代で見舞いました。姪と甥も変わってしまった祖母の姿に、戸惑いがあったようでした。

 

みんなで会えて良かった。

夫たちに子供たちを任せ、私と妹はゆっくり母と面会しました。

 

<母の妄想>

夜間に混乱して叫ぶようでした。

ベッドの下に川のように水が流れていれ、引きずり込まれそうだと。

近くになるものが流されて、取ろうと思い下に手を伸ばす。でも流れてしまうと。

川のような水の流れに落ちそうで、怖くてしょうがない。

母からの言葉でした。毎晩そういう夢?感覚になるとのことでした。

看護師からの話によると、左半身麻痺だけど、力を振り絞って動こうとする。ベッドからの転落の危険があること、混乱して点滴を抜いてしまう危険があることから、

身体拘束をしている状況ですと。夜間はお腹のベルト、両手のミトンを着用。

ベッドに縛られています。治療のために必要とはいえ悲しいです(´;ω;`)ウッ…。

 

<倒れた時の状況>

母は、倒れた時の状況についても話してくれました。

「眼科通院後、薬局のレジで会計を済ませ、商品を台の上で袋詰めをしていた。商品をビニール袋に入れようと手を伸ばしたら、目の前にふわふわ雲のように浮かんでいるものが見え、それを取ろうとしたら、頭がフラフラした。足元のふわふわを取ろうとした時によろけた。近くのお客さんの膝に頭をぶつけた(乗せた?)の。」

「そのお客さんのお陰で、頭は打たなかったの。」

「痛みは全く感じなかった。」

 

母は幸運でした。

・自宅でなく、人前で倒れたこと。

 →自宅で倒れていたら、発見が遅れて手遅れだったかもしれない。

・倒れた場所が薬局だったこと。

 →薬剤師さんがすぐに救急車手配をしてくれた。

・隣の方に支えられたことで、頭部を強打しなかったこと。

・娘の連絡先が記載されたメモを携帯していたこと。

 →救急搬送されて、すぐに娘と連絡が取れた。

・診察券を携帯していたので、かかりつけの脳外科へ搬送されたこと。

・痛みを感じずに倒れたこと。

 

母は後日、「こんな体になるなら死んじゃってた方が良かった。」と言うことになりますが、【神様がまだこちらに来てはだめだよ】、と生かしてくれたのかもしれません。

 

自分の生活で精いっぱいで、母の面倒をあまり見てこなかった娘たちへ、

【しっかり親孝行をしなさい。】との神様からのお告げだったのかもしれません。

 

もし母が自宅で倒れ、誰にも気づかれず亡くなっていたとしたら・・・。

残された家族は、耐えきれないほど苦しんだと思います。

 

一命をとりとめましたが、左半身麻痺という後遺症を背負った母。自由に動けない身体となり、辛いリハビリをしなくてはならない。

治ることはないという現実の中、母の絶望感はいかに大きなものだったとも思います。「死んだほうがまし」という言葉は、その絶望感を表しています( ノД`)。

 

母の力を信じ、母の利用への取り組みを精神的に家族が支えていくことを誓いました。

 

【母が生かされた意味】を、母も家族も受け止め、後悔なく残りの人生を過ごせるようにしたいと思います。