「幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと」中山祐次郎著
「幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと」を読んで感じたこと。
若き外科医中山祐次郎先生の著書です。
図書館でその題名に強烈に惹かれ、手に取りました。
私は医療に特化した特定施設でケアマネージャーをしています。
急性期の治療が終了した方で、入院を継続できない、でも自宅での療養も難しいという、医療度の高い方が入居しています。
施設でお看取りすることも多いです。今年度まだ4か月ですが、10人の方をお看取りしました。
残された日々をどのようにその方らしく生きていくか。その時間をどう支えていくか。
本当に難しいテーマです。
こちらの本で強く感銘を受けた言葉。
「人は生きてきたように 死んでいく」
緩和ケアの学問にある言葉だそうです。
中山先生の解釈では、「人の最期のときは、その人の人生そのものを凝縮している」ということ。
一生涯かけて誰も愛してこなかった人、誰にも本気で尽くしてこなかった人。
そういう人は誰からも付き添われず、病院のベッドでひっそりと寂しい最期を迎える。
対照的にたくさんの人を愛して、たくさんの人を慈しみ、お世話をした人の最期は、
たくさんの人やお花に囲まれて、安らかに、眠るように逝かれる・・・。
外科医として多くの方を治療し、時には最期も見届けた経験からの言葉です。
「人は生きてきたように死んでいく」という言葉。心臓に矢が刺さった感じでした。
自分が生きてきた人生の集大成が「死」なのですね。
自分のふるまいや考え、信念、他者との関係・・・等々。
私はいったいどんな人生を歩んできただろうか。今のままで、果たして幸せな死が迎えられるのか。ドキッとしました。
ふと、母のことが頭に浮かびました。
娘の私がこういうのもお恥ずかしいですが、母はとても慈悲深い人です。
いつも子供や親せきや友人たちに気を配り、自分のことは二の次で他者を優先にして
生きてきた人です。その心配りは、本当に愛からくるものだと思います。
その母が5年前、脳出血で倒れました。
薬局で薬をいただいていたときに発症したことが、母の一命を取り留めました。
隣に人がいたことから強く床に倒れることなく、薬剤師さんがすぐに救急車を手配し、かかりつけの脳外科へ搬送されました。
自宅でいるときに発症したら、発見が遅れ、死に至っていたと思います。
その時は「母は運が良かった」と思いました。
しかしこの本を読んで、単純に運が良かったのではなく、母の今までの生き様が
そのように導いたのではないか、と思うようになりました。
自分の生き様。生き方。
それは、自分の死に方にもつながる大切なことなのだと思いました。
そして、「幸せな死」について。
中山先生は、「死」は自分では自覚することができないと述べています。
誰も死んだ経験を持っていません。語ることはできないのです。
では、「幸せな死」とはどういうことなのでしょうか。
死=大切な誰かのものである。
「幸せな死」とは、自分の大切なひとにとっての幸せな死ということ。
そうだったのか!!目から鱗です。
「死」は自分のものではなく、残された大切なひとのものであるなんて!
大切なひとが後悔なく相手のその死を受け入れ、幸せに送り出せるように。
そのためには、自分が幸せに生きることが大事。
自分がニコニコと幸せに生きている姿を見せることで、大切なひとも幸せに生きている
自分を見て幸せに思う。最期の時も幸せに見送ってもらうことができる。
幸せに死ぬためには、幸せに生きること。
たくさんの人を愛して、たくさんの人を慈しみ、お世話をしていく。
そういう生き方をしていけたらいいな、と思いました。