ワーママ・ケアマネたきぼんの介護・子育て

ケアマネたきぼんのこころが軽くなる介護・子育て・生活のヒント

母が脳出血で倒れた日 5回目を迎えて。

母は、2016年1月に外出先で脳出血を発症し、突然倒れました。

明日でその日から丸5年が経過します。くしくも同じ月曜日です。

長く、そしてあっという間の5年間でした。

 

2016年1月25日。

前週末に東京に雪が降り積もり、寒い一週間でした。

白内障で眼科に通院予定の18日は積雪が残るなか中止し、翌週の25日に

変更していました。

眼科通院後、ドラッグストアで処方と買い物していた時に、発症したのです。

 

その日から我が家の生活は一変し、怒涛の日々が始まりました。

家族が突然倒れたら。

それは、悲しみ、号泣、辛い、後悔、自責の念等々…本当に本当に苦しい日々。

冬になるたび、倒れた日を思い出す。そして「ああすれば良かった」と後悔の思いが湧き上がる。家族が別の対応をしていたら、倒れなかったのではないかと、自分を責め苦しくなる。そんな日々でした。

 

しかし、立ち止まって悔やんでいても何も進みません。

治療について、転院について、今後の生活について、調べ考え、役所と連携し、家族で相談することがたくさんありました。

 

5年経ってようやく母の生活、私の生活が落ち着いてきたように思います。

今でも悔やむことはありますが、もう倒れる前の母には戻ることはありません。

いくら後悔しても時は戻せないのです。

ならば、今の状況を受け入れ、この状況でも穏やかに幸せを感じながら生活できるよう、支援していくことが大切だと思います。家族の力は大きいです。

 

<5年間の母の気持ちと環境の変化>

◆急性期:意識回復してから転院までの2週間

・意識が回復してまだ、自分に何が起こったかうまく把握していない状況。

・しかし、倒れた時の状況はよく覚えていて、詳しく説明できた。

・「左側が動かないのよ」と自分の体の変化にとまどう。

・車椅子で過ごすリハビリを開始。意欲あり。

・笑顔が見られ、精神面は安定しているように見えていた。

・リハビリ病院への転院とリハビリについて「頑張る」と意欲を示し、同意する。

・退院時は「元気になって、こちらにお礼に来ます。」と笑顔で職員に声かける。

 

◆リハビリ病院:上限180日間でのリハビリ病院での急性期リハビリ開始

・転院した日は笑顔。主治医やリハビリの先生、看護師と挨拶。「頑張ります」と。

・翌日から全く笑顔なくなり、仮面様表情となる。声掛けに返事はするが、昨日とは

 全く異なる母の様子に戸惑う。表情を変えず、険しい目つきと口元。意欲も低下。

 うつ的な様子。

・1日5回の積極的なリハビリの機会を得ていたのに、なかなか本人の意欲が上がらず。

 もったいない時期を過ごしました。

・毎日面会に行くも、家族や孫の顔をみてもニコリもせず、言葉も発せず。

 ↓

おそらく、自分の状況が分かり始めたことにより、悲観する気持ちが湧き出て、うつ的な気分になっていたのだと思います。左半身は二度と動かないこと、体を自由に動かせないことに対して、現実を受け止めたくない思い、なんでこうなってしまったのかとの悔しく切ない思い、いっそのこと死んでしまったほうが良かったとの思い、絶望感と

悲しみでいっぱいだったのだと思います。

 

◆リハビリ病院 3か月目

・毎日家族が見舞い、リハビリに同席し、見守り、声掛けした。

 リハビリ以外の時間は、散歩や好きな甘いものを食べる、大好きな歌手の映像を見て 

 一緒に歌う時間を持つ。土日は孫と一緒に過ごすなど、できるだけ一緒に過ごす。

・5月の母の誕生日には、少しづつ笑顔が戻る。悲観的な発言も少なくなり、リハビリ

 への意欲も出てきた。しっかり取り組む様子が見られた。

ようやく自分の状況を理解できるようになり、障害を持った自分の体と生きていかねばならないと腹をくくった様子。徐々に『障害の受容』ができるような心境に変化。

「もう左側は動かないのよね」と悲観する感じでもなく、発言できるようになった。

3か月かかった。本当は入院当初から意欲をもってリハビリに取り組めば、もう少し

改善が見られたかもしれない。うつと闘った3か月は、リハビリ的にはもったいない時間であったが、母の精神的な安定との側面では必要な時間だったのだろう。

また、家族が毎日、短い時間でも一緒に過ごしたことも大きいと思う。特に大好きな歌手の歌の映像は効果抜群だった。ありがとう、#氷川きよしさん!!

 

◆リハビリ病院から、老人保健施設老健)への転院に向けての話し合い

・リハビリ病院を退院するころには、精神的に落ち着き、安定していた。今後も生活の

 相談もできるような精神状態。本当に良かった。

・リハビリ病院での後半の頑張りで、立ち座り動作、便座や車椅子への移乗動作は

 軽介助で可能。左上肢の拘縮もなく、多動で動かせる状態となる。

・入院中に今後の生活について母と何度も話す時間を設ける。自宅で独居生活は難しい

 こと、同居はできない事情について説明。母の気持ちを聞きながら、事実をしっかり

 伝え、母と一緒に考えていくように心掛けた。

・リハビリをさらに続けるために老人保健施設老健)への転院を一緒に決める。

・自分の体のこと、後遺症、生活が変わることについて、母は徐々に理解していく。

 混乱はなく、「あなたたちに迷惑はかけられない。自宅に戻れないのであれば、施設

 で生活してもよい。施設選びは任せるわ。」と同意する。

リハビリしたことで、不自由ながらも介助を受ければ生活できることを実感した様子。

エレベーターのない、4階の自宅での生活は難しいと理解していく。以前より「娘の世話にはならない」という考えで生活していたこともあり、同居という選択ではなく、施設入居へ気持ちが向いていた。悲観的ではなく、客観的に受け止めていた感じ。

私は同居して面倒を見たいと思っていた。でも、自分の生活を考慮するとやはり難しい。母も本心では娘と暮らしたいと思っていただろう。でも、難しいとお互いに思っていて、その本心は伝えることができなかった。

 

老人保健施設老健)への転居

・10施設以上候補をあげ、手分けして見学。母にもパンフレットを見せ、話を聞いた

 内容を説明していく。できるだけ母が「ここがいい。」と選択できるようにした。

 母は「どこでもいい。あなたたちが決めて。」と他力本願的な発言。でも、母が生活

 する場所。自分で決めることが必要なんだと、繰り返し話す。説得する。

・家族で3か所に絞り込み、母に提案。どの施設でもよいと思っていたので、母の判断

 に任そうと妹と相談していた。母が「ここが綺麗でいいわね。」と1か所を選択。

 家族も気に入っていた施設なので、そこに決める。

精神的に安定し、自分の状況を客観的に見られるように変化していた。家族の話も聞けるようになっていた。なので、転居については、本人に丁寧な説明をし、本人に選択権を持たせる、自分で決めたと自覚してもらえるように話を持っていく。自分の人生なのだから、人に任せて後悔するような気持になってほしくない。

脳出血後、後遺症もあり、しっかりと判断はできないかもしれない。でも、母が選びやすいように家族が準備していくことで、「自分が決めた」と感じてほしいと思う。

 

老人保健施設老健)でのリハビリと生活

・母の精神面は安定し、笑顔で生活していた。スタッフさんの関りはとても上手で、

 母のやる気を引き出していた。リハビリも意欲あり、うまく乗せてもらい頑張る。

・脳血管性と思われる、記憶障害と認知症状は徐々に進行していた。感情失禁や思った

 ことをすぐに口に出す、場にそぐわない行動をするなどの様子が見られていたが、

 ”笑ってしまう”という感情失禁のため、他者との交流や関係性については、

 大きな問題になるという状態でなかったのが幸いだった。笑顔は周囲を明るくする。

 にこにこしていると、自然にみんなが声かけてくれる。母は施設ではそういう人に

 なっていた。

・記憶障害は深刻。昔のことをすっかり忘れている。話がかみ合わない。思い出の共有

 ができないことは、娘にとっては本当に残念だった。

 アルツハイマー認知症であれば、昔の記憶は鮮明にあり、思い出を共有することが

 できる。母の場合は、脳出血による脳の損傷の場所により、過去の記憶を失ってしま

 ったようだ。こんなことがあったと伝えても、実感なく、自分のこととは思えない

 ようだ。まさに「今を生きる」という状況になってしまった。

 

特別養護老人ホームへの入居

老人保健施設は永遠に住むことはできない、在宅へ戻るための中間施設である。

 入居してリハビリをする期間が設けられているのが一般的だ。老健には従来型と新型

 の2種類があり、従来型であれば、次の施設が決まるまで入居を継続することを相談

 できる。在宅復帰が難しい場合もあるので、このような対応をしてもらえるのは、母

 にとっては助かる対応だった。

 一方、新型老健は確実に在宅へ戻ることを支援するため、他の施設への入居待ちでの

 利用はできないことが基本である。老健の役割としてはこちらが正解なのだろう。

 

 入居時から特別養護老人ホームへ入居するまでお世話になることにしていた。

 相談員さんは家族に寄り添う素敵な方で、

 「お母さまの一生が決まる施設選びなので、焦らず、しっかり見学して、納得できる

 施設を選んでください。決まるまで、いつまでもいてくれていいです。」と、

 本当に心強い言葉をかけてくださました(´;ω;`)。

脳出血を発症して5か月。母は心身共に安定してきていた。次の相談もしっかり話を

 聞ける状態、自分の意見を言える状態になっていた。

老健を選んだ時と同じように、特別養護老人ホームを調べ、見学、相談を繰り返す。

 母に逐一報告し、意見を聞く。そうしてようやく5施設を選び、申し込みをした。

 あとは順番を待つのみ。それまでは、こちらの老健でリハビリを頑張ってもらおう。

 

特別養護老人ホームへ入居が決まる!

・母の状態は安定。もともとの性格から、他の入居者の方と交流したり、お友達になる

 などのことはなかったが、家族や職員さんと交流し笑顔で生活していた。

・特養へ申し込みをして1年、ありがたいことに順番がきたと連絡がきた。母の住む

 自治体では5施設を同時に申し込みができる。5施設のうち、どこから声がかかるか

 は、その時の施設サイドの状況によるので、申し込む5施設は本当に入居したい施設

 を選択しないといけない。声がかかった施設を断ることもできるが、そうするとまた

 いつ声がかかるかわからなくなる。入所に不利になると思われるので、一般的には

 最初に声がかかった施設へ入所を決めることが大半である。

老健からの書類、健康診断書、母との面談と施設での判定会議を経て、母の特別養護

 ホームへの入居が決まった。家族は安堵した。ようやく生活が安定できる。

1年ほど老健で生活し、スタッフや入居者さんと慣れてきた頃での転居。

新しい環境で、人間関係をいちから築き上げるなどの変化は母に負担であろう。

でも、ここでひと踏ん張りすれば、生活は安定する。腰を据えて生活できる。

「ここにずっといたいわね。」という母に、何度も説明して、同意してもらった。

 

特別養護老人ホームへ転居して、今年6月で丸4年を迎える。

新しい生活に慣れるまでは時間も要したが、ありがたいことに体調を崩さず、心身共に

安定して元気で生活している。スタッフさんとの関係もでき、今では同じそろばんでの脳トレ仲間もできた様子。家族としては本当に安心してお任せできています。

 

終の棲家を決めるまで、怒涛の2年間でした。

納得のいく施設選びの難しさを実感しました。

施設選びのポイントについては、また記事にしたいと思います。

 

現在は新型コロナウィルス感染防止のため、2020年2月に最後に居住スペースで面会したのを最後に、母と一緒に過ごすことはできていません。

リアルに会えないことの寂しさ、身体機能が低下してしまわないかとの不安。

月1回のWEB面会と、時々のお菓子や手紙の差し入れで繋がっている状況です。

早くリアルに会える日が来ることを願うばかりです。

 

 

発症から5年目を迎えるにあたり、母の経過を振り返ってみました。

大変だったけれど、【母と一緒に】家族でいろいろと考えたこと、検討して決めてきたことは、必要な時間でした。

長く時間はかかったけれど、支えてくださった専門職のかたに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

母が倒れてからの一年間は本当に大変でした。本人はもっと辛い思いをしていたでしょう。でも、振り返ると、なんだかそこそこうまく進んでいた。すごいと思う。

母の人柄なのかな。母の生き方や考え方なのかな。たくさんのご縁を繋げてきた。

 

残りの人生を穏やかに楽しく過ごしてほしいと願います。